現在では全国に名を馳せた桐光学園ですが、
数年前までは、甲子園になかなか顔を出せない高校でした。

強豪ばかりの神奈川にあって、
なかなか準決、決勝の壁が破れない・・・。

そんな桐光学園野球部も、
松井裕樹投手が甲子園で大記録を打ち立て以来、
高校野球のファンから熱い目線を浴びてます。

桐光学園高校野球部の監督は、
1984年から就任している野呂監督

過去から現在までに、
寮すら存在しない野球部を、
甲子園の常連に這いあがらせた凄腕な監督です。

桐光学園の野呂監督の凄さ。寮のない野球部でも団結力抜群!

桐光学園野球部野呂監督寮偏差値練習内容

1984年から地道に桐光学園野球部を鍛え上げてきた野呂監督
勉強の名門の桐光学園にあって、本人も早実・早稲田とエリート街道を駆け抜けました。

頭の良い監督が、
要領でスポーツ部を強くする、
この背景が、最近では注目されます。

慶応のエンジョイベースボールとはまた違った、
何か特別な魅力を野呂監督の野球から感じます。

実力があれば1年でも2年でも積極的に起用し、
寮生活がない中でも、人間教育の中で団結力を育みます。

体作りの面でも、食事内容のことを、
選手の親と情報を取り合うなど、
寮のない部であっても、選手の管理は怠りません。

「応用のきくバランスのいいチーム」を育てるためにどうすればいいか。僕は選手に「自立すること」「必要とされる人になること」を求めてきました。…(中略)…自立するということは、自分で考え、行動できるようになること。必要とされるためには、相手が何を思っているのか気配を感じられるようにならなければいけない。気配、これに送り仮名をつければ「気配り」になります。気を配れる人間になれば、野球で相手が何をしようとしているのか感じとることができる。また将来、社会に出てからもそれが生きるはずです。」

「3年間の高校野球生活で、自分で判断し、自分の足で立ってもらえる人になって欲しい。その為に指導者は常に向上心を持ち、自分の考えを伝える方法を磨かなくては。聞く姿勢のない生徒に話して、聞いていないと怒っても仕方がない。聞かせること、そして易しい言葉で理解させることが必要だと思うのです。」引用:http://m-supo.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_4be5.html

自立心を大切にしたいということは、
勉強でも言える事、社会人にも大切な事。

野呂監督のもとで教育された選手は、
将来的に、野球以外の道でも成功しそうですね。

桐光学園野球部の2012年と2013年のメンバーは伝説!夏の思い出

やはり桐光学園が最強だった時代を振り返ると、
松井裕樹投手が在籍していた時代がメインでしょう。

松井裕樹投手は1年生の秋からエースとしてチームをけん引しました。

その後の2012年と2013年の活躍は、
当時の神奈川を圧倒されるものでした。

2012年のメンバーは、

1 松井 裕樹 2年
2 宇川 一光 3年
3 田中 頼人 3年
4 鈴木 拓夢 3年
5 中野 速人 2年
6 武  拓人 1年
7 山口 翔大 3年
8 水海 翔太 2年
9 植草 祐太 2年
10 山田 将士 1年
11 工藤 江太 3年
12 鈴木 航介 2年
13 川畑 恒哉 3年
14 佐藤 孝紀 2年
15 坂本 憲吾 1年
16 大嶋 悠太 2年
17 芦原  慎 2年
18 堀江 仁人 3年

3年生はわずか7名
2年生が一番多く8名、
そして1年生が3名です。

桐光学園野球部20122013夏メンバー出身中学松井裕樹

甲子園大会史上最高の10者連続三振し、
そして1試合22奪三振を残したのは記憶に新しいです。

その年と同じメンバーがほぼ残って挑んだ2013年の夏ですが、
松井裕樹投手は、横浜高校の淺間・高濱選手に本塁打を浴び敗北・・・

「神奈川で勝つことの難しさ」を実感し、
横浜の小倉コーチの野球脳の素晴らしさに脱帽した夏でした。

それでも松井投手はその最後の横浜戦で、
当時の自身最速のMax149キロを記録するなど、
打線も精一杯に奮闘し、2−3の接戦
まるでドラマのような最後でした。

未だにあの2013年の桐光学園が甲子園に出ていれば・・と思い更けてしまいます。

横浜高校にはプロ注目の選手や、のちに大学で活躍する逸材ばかりでしたが、
当時の桐光学園のヒーロー的な存在感は、今後、神奈川ではなかなか見ないものでした。

 

打倒!桐光学園!!
打倒!松井裕樹!!

 

どこの強豪にも、最も研究され、
最も注目を浴びた夏・・・、
しばらくは超えることのできない同校の伝説だと思います。

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