かつてPL学園で「清原2世」と崇められた選手がいました。
2011年のドラフトで楽天に入団した勧野甲輝さんです。

勧野甲輝伝説素行

勧野甲輝さんは高校時代からの怪我もあり、甲子園での話題は結局少なく・・・
プロ入り後も、期待通りの覚醒は果たせないでいました。

高卒からプロ入りを果たした勧野甲輝さんですが、それでもファンは「いつかは持ち前の才能が花開く」と信じていたことでしょう。
しかし、この2015年のオフに勧野甲輝さんは戦力外を受けてしまったのです。

勧野甲輝が戦力外になった理由は?素行面では・・・?

いくら評判通りにいかなくても、若い勧野甲輝さんにはまだまだ希望もあったはずです。
まさかの23歳での戦力外は、多くの人が衝撃を受けたことでしょう。

ただ、シニアリトル時代からの激しいトレーニングの影響か、
プロに入った時点で、体の消耗が半端なかったとの説もあります。

実際に高校生以降の勧野甲輝さんの野球人生は、
幾度も怪我に泣かされる場面が目立ち、
その故障体質な面で、覚醒まで難しかったのではないか?と。

2軍の試合でもなかなか結果を残せなかったことも当然、原因の1つに数えられますが・・、
一部では「素行が悪かった」「敬語が使えなかった」との噂もあります。

しかし、勧野甲輝さんはソフトバンクを戦力外になった後に、
すぐに就職を決めているので、仮に素行が最悪だとしたらありえないですね。

やはり、才能のある選手が覚醒しないとなったら、
「怪我」の他には「素行」を理由にしたがる人が多いようです。

勧野甲輝の伝説と素行

勧野甲輝さんはリトルとシニアで本塁打100本超えを果たした伝説を持ちます。
その話題は、今でいう清宮選手に似た「とんでもない野球の天才がいる」と言った感じでしょうか?
(清宮選手ほど派手な話題ではなかったですが)

中学生時代は敬遠気味の打席が多く、安打数よりも四球数が上回るという伝説もあります。

守備と走塁も素晴らしく、身長も180センチ超えと、
将来的にプロで活躍することが約束されたような選手でした。

あのPL学園にあって、1年生から主力として活躍した面を見ても、
「清原2世」と呼ばれることに違和感はなかったですね。

投手としても中学生時代から140キロを超える球速を誇り、
ノーヒットノーランを連発してました。

勧野甲輝さんを獲得するために訪問した強豪のスカウトの数は、
なんと当時で100人を超えたそうです。

また、1年生の時点で大阪桐蔭の中田翔選手に負けない力があったとされ、
逸材から揃う大阪でも1年生の段階でプロスカウトが注目していたようです。

勧野甲輝戦力外通告理由弟敬語

ネット上での勧野甲輝さんの伝説もあり、
それは、中学生の段階でスレが作られていたこと・・・。

ここまで怪物級の注目を浴びた中学生は、
後にも先にも勧野甲輝さんぐらいでしょう、
ある意味、現在の早稲田実業の清宮選手よりも実力面では太鼓判が押されていたと思います。

勧野甲輝は弟も野球がうまい?

勧野甲輝さんには弟がいるらしいですが・・・。
「勧野甲英」という名前の大阪出身の良い選手いるようなので、もしかしたら本当ですね。

弟さんは尽誠学園に在籍してるようです。
強豪ということで、甲子園に顔をだす可能性は高いです。

まだまだ未知数な弟さんですが、
ぜひ、兄貴に負けないぐらい活躍して欲しいですね。

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