熱狂的なファンがおり、近年は優勝争いに必ず顔を出している阪神タイガースですが、2022年シーズンは異変が起きているようです。
キャンプイン前日に監督の矢野燿大(やの あきひろ)さんが今シーズン限りでの退任を発表し、その影響も多少関係しているのか阪神タイガースはシーズン開幕からプロ野球新記録の大型連敗。13試合終了時点でこちらもプロ野球新記録の借金10と大苦戦を強いられています。
プロ野球ファンとしては阪神タイガースの盛り返しに期待したいところ。そこで、今回は阪神タイガースの監督を2年務め、今シーズン限りで退任される矢野燿大監督についてご紹介します。
阪神タイガース 矢野監督のプロフィールと経歴
まずは矢野監督のプロフィールをまとめていきます。
- 氏名:矢野 燿大 (※本名は、矢野 輝弘)
- 生年月日:1968年12月6日
- 身長:181cm
- 血液型:O 型
- 出身:大阪府
- 投・打:右投げ、右打ち
- 趣味:釣り・ゴルフ
- 座右の銘:感謝
- 出身校:桜宮高校~東北福祉大学
経歴
- 中日ドラゴンズ(1991―1997)※ドラフト2位
- 阪神タイガース(1998―2010)
- 侍ジャパンバッテリーコーチ(2013~2015)
- 阪神タイガース作戦兼バッテリーコーチ(2016~2017)
- 阪神タイガース二軍監督(2018)
- 阪神タイガース一軍監督(2018~)
阪神タイガースの印象が強い矢野監督ですが、実は中日ドラゴンズでプロ野球選手としてのキャリアをスタートさせています。
プロ入り20年目の2009年に登録名を本名の矢野輝弘から矢野燿大に変更しています。若手選手が一からスタートするという意味を込めて登録名の変更をすることも少なくありませんが、20年目、40歳の選手が改名することは非常に稀です。そこから矢野監督の最後まで諦めない姿勢を感じられます。
矢野監督の家族は美人な奥様と2人の娘
矢野監督には美人な奥様・裕子さんと2000年生まれの長女、2003年生まれの次女がいます。娘2人ともファザコンと噂されるほど矢野監督のことを大切にしており、良好な親子関係のようです。
裕子さんとは中日ドラゴンズ在籍中の1995年に結婚しています。出会いから結婚まで、なんと7ヶ月というスピード婚だったそう。矢野監督はプロ1年目から一軍で活躍をしていましたが、2年目から4年目まで思うような結果を残すことはできていませんでした。しかし、結婚後の1996年に捕手としてノーヒットノーランに導くリードをしたり、打力を買われて外野手にも挑戦しながら54試合の出場で打率.346、7本塁打、19打点を記録するなど選手として復活を遂げました。まさに奥様が勝利の女神のようです!
矢野監督のキャリアを振り返る
ここからは矢野監督のプロ入り後のご活躍について、時系列順にまとめていきます!
中日ドラゴンズ時代
1990年 ドラフト2位で入団(読売ジャイアンツとの競合の末に入団)
1991年 8月3日阪神戦、ナゴヤ球場にて7回表に捕手として初出場
- 8月26日阪神戦、甲子園球場にて9回表に初安打・初本塁打・初打点(代打2ラン)
1996年 10月6日巨人戦、ナゴヤ球場公式戦最後の本塁打を放つ
1996年 8月11日巨人戦 野口茂樹投手とノーヒットノーランを達成
阪神タイガース時代
1997年 交換トレードで移籍
1998年 5月26日中日戦、川尻哲郎投手と2度目のノーヒットノーラン達成
2003年 ベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得
2004年 4月4日巨人戦、東京ドームにて1,000試合出場を達成
2005年 9月15日巨人戦、東京ドームにて1,000本安打を達成
- シーズン自己最多の19本塁打を記録
- シーズン自己最高の盗塁阻止率 .434を記録
- 日本シリーズで敢闘賞、2度目のベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得
2006年 10月4日ヤクルト戦、明治神宮球場にて100本塁打を達成
- 2年連続3度目のベストナインを獲得
2007年 9月16日中日戦、甲子園球場にて1,500試合出場を達成
2008年 北京五輪に日本代表として参加
2010年 現役引退
現役引退後
2013年 侍ジャパン(日本代表)のバッテリーコーチに就任
2015年 阪神の一軍作戦兼バッテリーコーチに就任
2018年 タイガース一軍監督に就任
2019年 前年最下位だったチームを3位に導く
※就任1年目でのAクラス入りは阪神の新人監督としては初めて
2020年 レギュラーシーズン2位と優勝まであと一歩のところまで導く
2021年 2年連続の2位、優勝したヤクルトとの最終勝率の差は5厘
※シーズンを通じて、他のセ・リーグ5球団に負け越さなかった
※巨人に対しては、2007年以来14年振りの勝ち越し
2022年 春季キャンプイン前日に今シーズン限りでの監督退任を発表
まとめ
プロ入り後から怪我やライバル選手の加入などで幾度となく窮地に立たされながらも盛り返してきたのが矢野燿大監督です。野球だけでなく、ロンドンオリンピックの取材に行き、さまざまなスポーツに触れているからこそ、打破できることも数多くあるのではないでしょうか。最後まで諦めず、監督として有終の美を飾ってもらいたいところです!