2015年から韓国プロ野球チーム「ハンファイーグルス」にて、
1軍の投手コーチを務めることになった西本聖さん。
日本球界では阪神・ロッテ・オリックスにてコーチ経験を持ち、
指導者として、選手に信頼され、評判は高かった。
西本聖さんは現役時代、巨人で13年、中日で3年、オリックスで1年プレーし、
その中でも、巨人時代では江川卓さんとエースを争う仲であり、
得意球のシュートはこれまでの球界の歴史の中でも、天下一品と評されている。
西本聖さんの通算成績は165勝128敗。中日時代には20勝を挙げたこともあった。ゴールデングラブを3度も受賞するほど守備力も優れていた。
球速よりも変化の落差を意識したシュートに、
緩急多彩なピッチングが素晴らしく、
奪三振よりも、打ち取る投手として活躍していました。
西本聖と夫人の夫婦愛
西本聖さんは夫人をとても愛していた方で、
あるインタビューで夫人について聞かれた西本聖さんは、
まるで新婚夫婦のように、夫人へお褒めの言葉を並べたのです。
そんな西本聖さんと夫人さんには、
愛を深めたエピソードがあるので。
それは1981年、西本聖さんが海外のキャンプに行ってる間に、
自宅にいた夫人さんが、ガス爆発の事故に巻き込まれてしまうのです。
新婚生活1年目でのまさかの事故に、
西本聖さんには不安と後悔の念が押し寄せたようです。
西本聖さんが慌てて帰国し、病院に駆けつけると、
夫人は「心配かけてごめんなさい」と謝ったそう。
夫人は全身の65%が焼けるという、
大怪我を負っていたそうです。
そのとき、西本聖さんは、
「俺にできることは、お前のために勝つことしかない、
勝つことで勇気を与え、また経済面でも将来不安のない状態にしてやることだと、
そのとき、強く思ったんだ。」
と思ったそう。
そして、夫人の皮膚をポケットに入れ、
その年、18勝の成績を残し、
沢村賞を受賞されたそうです。
夫人に心配かけたくないという強い気持ちが、
その年の西本さんに、エンジンをかけたのです。
西本さんと夫人さんの夫婦仲の良さは、
現役を引退し、コーチになったときまで続き、
人間不信になりそうになったとき、
もう野球から離れたくなったとき、
「やめていいのよ」と優しく声をかけてくれたそう。
普段は弱音を吐かない西本さんにとって、
なんでも聞いてくれる夫人さんの存在は大きく、
もし夫人さんがいなければ、
もうコーチとしても、ユニフォームは脱いでいたことでしょう。
江川卓と西本聖の関係
巨人に在籍していた時代、
西本聖さんは、江川卓さんと共に、
「2人エース」として活躍していました。
練習嫌いな江川卓さんのイメージとは裏腹に、
西本聖さんはストイックな努力型として評判でした。
もともと西本聖さんは、
ドラフト外から巨人に入り、
用具代などもすべてツケで、
給料袋は薄かったみたいです。
鳴り物入りで巨人に入った江川さんとは、
反対側にいる選手だったのです。
キャンプでは西本聖さんも江川さんも、
同じブルペンの中で、互いを意識し、
何球投げても、どちらもやめない、
意地の張り合いのような投球練習があったそうです。
それはのちに「地獄の伊東キャンプ」と呼ばれ、
ブルペン捕手が「いい加減にしろ」と怒るまで続いたそうです。
ただ、当時のチームメイトである定岡さんの証言によると、
江川さんと西本さんの仲自体は悪くなかったそうで、
むしろ、よく一緒にストレッチやキャッチボールをしていたそう。
さらには、西本さんは、江川さんのことを、
「卓ちゃん」と呼んでいたそう。
しかし、食事にはいかなかったとか・・・。
仲がいい中での、さりげないライバル意識みたいなものですかね?
なんか、野球人らしいエピソードです。。