日本球界屈指の速球王といえば、1934年に日米野球にてベーブルースらから三振を奪いまくった英雄、沢村栄治がいる。沢村が生きていた時代にはしっかりとしたスピードガンがなかったため、この沢村栄治の球速は正式に記録には残っていない。しかし、現代になって多くの専門家や野球人が、沢村の球速を予測するようになった。

沢村栄治 球速 動画

 

日本では150キロさえ超えていれば、球界屈指の速球投手として認定される。

沢村栄治の球速に関しては、当時でも確実に150キロを超えていた説が温厚だ。

彼は「火の玉投手」という異名を持ち、当時の日本最強の投手として世界中にまで名前は伝わった。

その頃、アメリカでも150キロを超えるという投手はチラホラいたため、この沢村の球速の脅威はそれ以上だと言われている。

沢村栄治の球速は160キロを超えていた?

日本の湯浅教授は数年に渡って沢村栄治の球速の解明に没頭しており、彼が何年も探して研究し、アメリカで発見した沢村がキャッチボールをしてる動画を元に検証した結果、160.4キロであると推測された。

沢村栄治は身長174センチの体重71キロで、お世辞にも体型には恵まれているとはいえない選手であった。しかし、そのような体でもスピードボールが投げる事ができるのは、リズム感の良いフォームと胸の張りで腕の上げ方がキレイであったからだと解説されている。

 

 

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