高木勇人は昨年2014年オフのドラフト会議にて、
社会人の三菱重工名古屋から、
3位でジャイアンツに指名されました。
苦労人を経ての巨人入り・1軍入り・プロ初登板初勝利、
ということで、ヒーローインタビューでは涙を流してしまい、
多くのファンが、高木勇人さんのその姿に感動し、
翌日のツイッターではトレンドになりました。
高木勇人さんが苦労人というのは、
具体的に、どのような部分なんでしょう?
少しだけ、高木勇人さんについて、
掘り下げてみたいと思います。
高木勇人は三重県の津市出身で、
子供の頃から地元では有名でした。(出身中学は不明です)
高校では海星高校のエースとして話題になりましたが、
プロ志願を提出した高校生ドラフトでは、
どの球団からも指名されませんでした。
高木勇人さんはプロからの指名を諦めた後に、
社会人野球の三菱重工名古屋に所属します。
社会人野球では最速153キロを誇る速球を投げ、
毎年のようにドラフトで上位指名を予想されてました。
(今でもドラフト系のブログや掲示板には高木勇人さんの話題が残ってます)
しかし、毎年、指名という指名は受けず・・・、
高木勇人さんが指名を避けられ続けてた理由は、
当時の制球の悪さにあったとされています。
高木勇人さんは、その制球力を、
毎年、少しづつ改善していき、
最終的には、スカウトに認められ、
昨年2014年のドラフトにて、
巨人からめでたく指名を受けたということです。
高木勇人さんがプロで初めて登板したのが、
今年2015年2月22日のオープン戦。
楽天打線を相手に1回だけマウンドに上がり、
三者凡退のナイスピッチング、
そこでコーチ監督に自分の存在を、
多いにアピールできたとされています。
開幕後は横浜との開幕カードの3戦目に先発を任され、
6回6安打2失点の好成績で試合には勝利、
プロ初登板で初勝利を記録したのです。
この快挙は1960年の国鉄の堀本さん以来、
55年ぶりだったそうです。
高木勇人さんは、ヒーローインタビューの中で、
これまでのつらかった野球人生を振り返り、
ようやく夢の舞台に立ち、夢のようなピッチングを披露できたことに感動し、
嬉し涙を流したということです。
余裕で入れるとされたドラフトで干された後に、
7年間の社会人を経験し・・・・。
高木勇人投手の気持ちを考えてみると、
本当に辛かったんだろうなと、思います。
ちなみ、今の巨人は、
高木勇人さんと同年代の、
小林選手を正捕手として育てようとしているので、
数年後に、小林捕手も高木勇人投手もともに成長し、
89年生まれの黄金バッテリーが誕生してるかもしれませんね!