大昔の日本の大エースといえば沢村栄治が浮かぶことだろう、彼は戦時中に、不幸な最後を辿り、その血の繋がりは途絶えたように思われていた。しかし、当時26歳だった沢村には娘がいたのだ。

沢村栄治 孫 画像

その沢村栄治の一人娘である美穂さんは今年で69歳になる。

自分の父のことは自慢のようで、これまでの人生で、

父の名前のおかげで良い想いをたくさんできたそうだ。

しかし、そんな娘の美穂さんは、父の野球人としての素晴しさに気づくのは遅かったそうだ。

沢村栄治の孫「美穂」さんが歩んだ人生

美穂さんいわく、沢村は自分に男の子供が生まれることを望んでいたという。

沢村は1944年に台湾沖にて没したが、当時の美穂さんはまだ生まれて5ヶ月だったという。

そんな美穂さんが父である沢村栄治が素晴しい投手だったと知ったのは10歳の頃。父がモデルになった映画「不滅の熱球」を母と鑑賞した際に、知らされたという。これは母が「他人に聞かされるよりもマシ」と美穂さんを思いやってのことだという。

美穂さんは18歳になると大学受験のために上京。受けた成城大学の面接では、美穂さんの履歴書をみた面接官が沢村の大ファンで、即合格になったという。

その後、美穂さんは36年間、社会人としての生活で父の名前を聞くことが増え、沢村に守られている気分で頼もしかったという。取引先の社長さんから自分の上司まで、美穂さんが沢村の娘だということで良くしてくれたという。

ベーブルースらから連続三振を奪った恩恵は、沢村自身が僅かに残した子孫の人生に大きく反映されたということだ。

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