
阪神タイガースで二度の最多勝に輝くなど活躍、2023年の日本一にも貢献した青柳晃洋選手。2025年はメジャー挑戦を経て東京ヤクルトスワローズに移籍、新天地でプレーしました。そんな青柳晃洋選手は2018年に結婚されています。
今回は青柳晃洋選手の結婚相手、馴れ初めや家族構成、子供の有無について調査しました。
青柳晃洋の結婚相手は?
2019年1月に結婚を発表した青柳晃洋選手。婚姻届の提出は2018年12月のことだったようで、大卒からのプロ3年目となるシーズンを終えたタイミングでの結婚でした。お相手は一般女性で、なんと小学校時代の同級生なんですって!結婚時点では25歳同士だったそうです。
青柳晃洋選手のルーキーイヤーの2016年に交際を開始した二人。青柳晃洋選手のプロ一年目からずっと親身に話を聞いてくれていたという奥様は、結婚する前から青柳晃洋選手にとっての心の支えのような存在だった模様です。
二人の馴れ初めは?
小学校3年生からの4年間、横浜市の小学校で同級生だったという二人ですが、そのままずっと関係性が続いていた訳ではありません。2016年に同級生によるグループLINEで関西にいることを知ったため、約10年ぶりに再会したのだとか。たまたま青柳晃洋選手が関西の球団であるタイガースからドラフト指名を受け、関西で再会することとなったのですね。
食事を重ねるうちに意気投合、青柳晃洋選手の側から猛アタックしていき、交際に至ったそうです。青柳晃洋選手は「結婚前提じゃないと付き合わない」という考えだったそうですが、当時23歳前後、覚悟を持ってアタックしたのですね。
青柳晃洋のプロポーズ秘話
青柳晃洋選手が結婚を決意したのは2018年の秋頃。同年の青柳晃洋選手は9月まで一軍登板の機会を得られず、一年目、二年目よりも苦戦するシーズンだったのですが、9月2日に同年の一軍初昇格を果たし、DeNA戦に先発するとシーズン初勝利を記録。そこで青柳晃洋選手は「次勝ったらプロポーズするわ!」と直接宣言したそうです。それはもはやプロポーズなのでは⋯⋯と思わなくもないですが、なんとその後勝利を記録することができず、結局「仕方ない!」と開き直って自宅でプロポーズしたそうですよ。
プロポーズの言葉は「結婚してくれる?」というもの。奥様も「お願いします」と答えました。
二人の子供は?
青柳晃洋選手と奥様の間にお子さんが誕生したという情報は今のところありません。結婚したのは今から7年ほど前のこと、年齢的にも結婚当時25歳で、更に青柳晃洋選手は結婚後に成績を上げ年俸も一時は1億円や2億円を突破したりもしていましたから、お子さんが誕生していてもおかしくないようには思えます。
ただ、青柳晃洋選手は2024年のオフにポスティングシステムを利用してメジャーリーグへ挑戦しています。海外志向が強かったのであれば、それより前から将来の海外行きを考えていたでしょうから、お子さんの有無にも影響しているかもしれませんね。
青柳晃洋の実家の家族構成
青柳晃洋選手の実家の家族構成については、青柳晃洋選手が幼い頃に両親が離婚、お兄さんが一人いるので母・兄・青柳晃洋選手の3人家族で育ったようです。
お兄さんは「青柳勇輝」さんで、青柳晃洋選手の3歳年上。青柳晃洋選手のタイガース入団記者会見にはお母さんだけでなくお兄さんも出席されていたそう。小さい頃からお兄さんが青柳晃洋選手の遊び相手だったそうですが、お兄さんは青柳晃洋選手の父親的な側面も持っているのかもしれませんね。お兄さんについては、ヤクルト本社で働いているという情報もありました。
青柳晃洋の母は?
青柳晃洋選手のお母さんは利香さん、ヤクルトレディとして働いていたというのは有名な話、お兄さんもお母さんの影響なのかもしれませんね。青柳晃洋選手は3歳まで会社の託児所に預けられ、その後もやはり働いている母親のイメージが強かったそう。母子家庭で息子二人を育て上げる為に、お母さんはとても頑張られていたのですね。
大学卒業後の進路については、社会人野球選手の選択肢もあった中で「挑戦できるならしたほうがいい」というお母さんの助言もあって、青柳晃洋選手はプロへ進むことに。青柳晃洋選手のお母さんに対する感謝は深く、仲はずっと良好なようです。
青柳晃洋の経歴
ここからは青柳晃洋選手の経歴について紹介します。
帝京大学でベストナインに
小学5年生で野球を始めた青柳晃洋選手は、川崎工科高校で1年の秋から主力としてチームを牽引。全国大会出場は叶わず、帝京大学に特待生として進学しました。
帝京大学では1年生から公式戦に出場していましたが、3年生の時に右肘を手術することに。それでも4年生の首都大学野球秋季リーグ戦ではベストナインを獲得しましたよ。リーグ戦通算37試合に登板し、15勝9敗、防御率1.91という優秀な成績を残し、ドラフトではタイガースから5位指名を受けてプロの道へ進みました。
ルーキーイヤーから13試合登板
ドラフト下位ではあったものの、大卒の即戦力ルーキーとして迎えられた青柳晃洋選手は、貴重な変則のスターターとしてルーキーイヤーから一軍登板を重ねます。13試合12先発で4勝5敗防御率3.29とまずまずの成績を残すと、翌2017年も12試合に先発し4勝4敗防御率3.22という成績を残しました。しかし2018年は一軍登板が僅か4試合に留まり、勝ち星も一つのみ。成績を落としてしまったのですね。
結婚翌年から成績良化
結婚して気持ち新たに臨んだ2019年は、一軍で25先発。初めて一年間ローテを守り抜き、9勝9敗防御率3.14という成績を残しました。そこからは先発ローテに定着、2021年には25試合で13勝6敗防御率2.48、2022年には24試合で13勝4敗防御率2.05と素晴らしい成績を残しました。特に2022年は最多勝利、最高勝率、最優秀防御率のタイトルに加え、4完投はリーグ2位、2完封はリーグ1位でしたよ。
そこから2023年、2024年と登板数を減らす中でのメジャーリーグ挑戦、2025シーズンはシーズン途中でスワローズに復帰することとなったのですね。
出展:東京ヤクルトスワローズ
最後に
今回は青柳晃洋選手の結婚相手や子供の有無、馴れ初めや家族構成について紹介しました。結婚を機に一気に成績を上げた青柳晃洋選手、その活躍には奥様の助けが大きく影響しているのでしょうね。縁深いスワローズで新たなスタートを切った青柳晃洋選手のこれからの活躍からも目が離せません!







