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名球会とは?条件がある?レジェンド選手を記録とともに紹介

日本の野球界において超一流選手が集う団体、名球会。入会するためには原則、規定の成績を残さなければいけないとされているため、名球会への入会権利を手にするための条件が日本のプロ野球界における一つの目安となっています。

今回は名球会とは何か、入会条件、名球会会員のレジェンド選手とその記録を紹介します。

名球会とは

名球会(正式名称「一般社団法人日本プロ野球名球会」)は「社会の恵まれない人たちへの還元とプロ野球の底辺拡大に寄与する」という目的に向かい、「野球振興」と「社会貢献」の2つの分野において継続した活動とともに社会情勢に対応した新しい活動に積極的に取り組む団体です。

名球会の会員は野球選手及び元野球選手達で、入会資格はNPB及びメジャーリーグでの成績によって発生します。

名球会の入会条件は?

名球会の入会条件となる成績は、「通算200勝以上」「通算2000本安打以上」、そして「通算250セーブ以上」です。いずれかを達成すれば名球会入りとなります。かなり大雑把な区分ではありますよね。

名球会への入会条件は年を経て細かく変化しており、セーブの条件は2003年に新しく決まったものです。NPBとメジャーでの記録を合計して計算し、外国人選手も条件を達成すれば名球会入りは出来ますが、記録のスタート地点はNPBのものであると規定されており、元メジャーリーガーであっても日本で1本ヒットを打ってから日米で合計2000本まで達する、といった感じでなければ名球会入りはできません。

入会するか否かは自由

条件を達成した選手であっても、入会を拒否することはできます。落合博満さんは2371本のヒットを放ちましたが、2000本達成時に入会を辞退、その後も未入会の状態が続いています。また2010年に名球会が一般社団法人に移行する際に400勝投手の金田正一さん、2062安打を放った谷澤健一さんが退会するなど、一度入会した後に退会した選手もいます。金田正一さんはそもそも名球会の創設者だったのですが、後に「名球会とはどうあるべきか」という点で他のメンバーと対立してしまったのですね。

主な名球会会員・200勝達成者は?

ここからは主な名球会の会員選手について、条件毎に紹介していきます。名球会の入会条件はとても厳しいものであり、メンバーはいずれもレジェンドばかりですよ。

工藤公康

224勝を挙げた工藤公康さんは、西武、ダイエー、巨人、横浜を渡り歩いた名左腕、200勝は巨人在籍時に達成しました。最後は、最初にユニフォームを着た西武に戻り引退。監督として福岡ソフトバンクホークスを率いて4年連続日本一に輝くなど、監督としての活躍も記憶に新しいですね。

野茂英雄

日本人メジャーリーガーの先駆け的存在、野茂英雄さんはトルネード投法で世界を席巻、日本で78勝、メジャーで123勝を記録して合計201勝を挙げました。メジャーで二度のノーヒットノーラン、二度の最多奪三振などの偉業を成し遂げていますよ。

山本昌

中日ドラゴンズ一筋32年、50代になってもマウンドに上がった山本昌さんは、現役通算219勝を記録。41歳でノーヒットノーランを達成するなど「中年の星」として名を馳せた山本昌さんは200勝達成時に42歳11ヶ月、史上最年長での達成でした。

村田兆治

名球会では、会員資格を持ったままこの世を去られた方は名誉会員として名前が残ることになっています。マサカリ投法で名を馳せたロッテオリオンズの名投手、村田兆治さんは通算215勝を記録。2022年に72歳でこの世を去り、名誉会員となっていますよ。

田中将大

楽天で24勝0敗1セーブの伝説を残し、ニューヨーク・ヤンキースでも活躍した田中将大選手は、2025年9月30日に巨人で200勝目を記録したばかり。日本で122勝、メジャーで78勝を記録しました。

200勝という数字は2000本安打よりも遥かに達成が難しいとされ、田中将大選手が最後の200勝投手ではないかとも噂されていますよ。

出展:名球会チャンネル

主な名球会会員・250セーブ達成者は?

2003年より新設された条件、通算250セーブ。現代野球においては勝ち星以上のスピードで積み重ねられるものの、セーブを記録できるチームの守護神は基本的に一つの時期に一人だけ、怪我や疲労などの影響で長年その座を務めることは難しく、250セーブも非常に難しい条件です。2025年シーズン時点で、これを達成できたのは僅か4名しかいません。

岩瀬仁紀

1002試合という登板数はNPB歴代1位、中日の9回を守った絶対的守護神の岩瀬仁紀さんは通算407セーブを記録しており、これもNPB歴代1位。その圧倒的なピッチングの様は「死神」と形容されました。

佐々木主浩

「ハマの大魔神」の異名をとったベイスターズの守護神、佐々木主浩さんは初めて250セーブを達成しての名球会入りを果たした選手です。シアトル・マリナーズでもプレーし、日本で252、メジャーで129の合計381セーブを重ねましたよ。

高津臣吾

2025年をもってヤクルトの監督から退く高津臣吾さんは、現役時代は名リリーバーとしてヤクルトの黄金期を支え、メジャーを含む4つの国の野球リーグでプレーしました。日本で286、メジャー27の合計313セーブを重ねましたよ。

平野佳寿

オリックスの名クローザーである平野佳寿選手は2026年シーズンも現役続行の見込みです。メジャーリーグにも挑戦し、8つのセーブを記録した平野佳寿選手は、2023年に史上4人目の日米通算250セーブを達成し、2025年にはNPB通算250セーブも達成しています。

主な名球会会員・2000本安打達成者は?

チーム状況に左右されにくく、自力で積み重ねられる安打を条件とする野手は、投手よりも名球会会員が多くいます。それでも当然2000本安打は偉業ですけどね。まさしく、超一流打者の目安として2000本のハードルは残り続けています。

王貞治

868本の本塁打を放った「世界の王」こと王貞治さんは、安打数も当然多く、巨人で2786本の安打を積み重ねてきました。金田正一さんが辞任した後の名球会代表取締役を務め、現在は顧問を務めていますよ。

山本浩二

王貞治さんと共に顧問を務める山本浩二さんは、現役時代に「ミスター赤ヘル」の愛称で親しまれた広島カープの英雄です。通算2339本のヒットを放ち、大卒選手として唯一500本塁打をクリアした選手でもありますよ。

古田敦也

ヤクルト一筋の名捕手にして、当時の選手会会長として2004年のプロ野球再編問題の際に大立ち回りをした古田敦也さんは、現在の名球会の理事長を務めています。捕手として2097本の安打を放ったのですが、大学から社会人を経てプロ入りして2000本打ったという点も異質ですよ。

アレックス・ラミレス

助っ人外国人としてヤクルト、巨人、横浜で活躍したアレックス・ラミレスさんは史上初の外国人選手の名球会会員です。NPBで10年以上にわたって活躍を続け、NPBだけで2017本の安打を放ちましたよ。

坂本勇人

長年にわたって巨人のショートを守り続けた坂本勇人選手は、高卒二年目に早くもレギュラーを掴み、今も尚、安打を重ねています。2020年に31歳10ヶ月の若さで2000本安打を達成しましたが、これは右打者としては史上最年少の記録でしたよ。

最後に

今回は名球会とは何か、入会条件やレジェンド選手の記録について紹介しました。2019年には特例での入会を認める制度が設けられており、上原浩治さんと藤川球児さんが特例での入会を果たしています。200勝が厳しくなってくる今後の野球界においては、特例での入会の事例も増えていくかもしれませんね。

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