島野修の武相から巨人時代。子供連れの家族のためにマスコットになった男。病名は?

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島野修の武相から巨人時代。子供連れの家族のためにマスコットになった男。病名は?島野修さんといえば、オリックスブルーウェーブの「ブレービー」のマスコットを演じた方として有名。現在のマスコットたちの、大きなモチベーションとなる存在で、尊敬の声は現場から多いそうです。

島野修武相高校巨人

この島野修さんはマスコットの中に入る前は、普通に現役のプロ野球選手でした。

地元の神奈川では、武相高校時代から有名な選手で、
巨人・阪急とプロでは大成しなかったものの、
現役引退後のマスコットの活動で、パリーグから表彰されるなど、
現在のプロ野球人気を影で支えた功績をもった、偉大な方なのです。

島野修さんは武相高校で甲子園出場。ドラフト1位で巨人に入団の経歴

島野修さんの地元は神奈川県で、実家が貧しかった島野修さんは、
特待生として、地元の名門の武相高校野球部に入部しました。

武相高校での島野修さんは2年生からエースを担い、
神奈川大会で完封試合を連発、またはノーヒットノーランも達成
甲子園に武相高校を導き、神奈川の野球人で知らぬ人はいないほど有名な球児でした。

現在の武相高校は甲子園にあと一歩届かないことが多いですが、
島野修さんの時代には、何度も甲子園出場を果たしてるんですね!
(ちなみにインパルスの堤下さんは武相野球部の元キャプテン)

そして、島野修さんはドラフト1位で巨人に入団する快挙!
しかも契約金は当時にして高卒ルーキーには破格の1500万だったそうです。
当時の巨人の島野修さんへの期待度の高さが伺えますね・・・。

しかし、島野修さんは高校野球時代に投げすぎていたため、
体がすでにボロボロで、なかなか勝てなかったそうです。

結局、巨人時代の島野修さんの通算成績は1勝4敗でした。

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マスコットに転身した島野修さんは子供連れ家族の言葉で覚醒した!

島野修さんがマスコットに入っていたばかりの時期は、
周囲から元ドラ1のプロ選手の末路に、
嫌な色眼鏡で見られていたそうです。

球場では島野修さんを野次るファンも多く、
辛く悩んだ時期があったそうです。

しかし、島野修さんはある日。
たまたま食堂にいた子供連れの家族が、
自分の入っていたマスコット(ブレーピー)が、
楽しくてまた来たいという会話をしていたのを聞いて、
それまで悩んでいた嫌味なヤジがすべて吹っ切れたそうです。

島野修病名

その後の島野修さんはマスコットの仕事を休まず奮闘。
結果、球場にはプレービー目当てのお客さんも多く駆けつけたそうです。

しかし、マスコットのぬいぐるみ自体はとても重たく、
島野修さんは怪我が絶えず、歳と共に動けなくなったそうです。

島野修さんの病名

島野修子供家族

マスコットを引退したあとも、オリックスの球団関係者として関わったそうで、
病気で2004年に退職したようです。

日本球界のマスコットの原点にして頂点と崇められ、
マスコットを仕事にしてる人の大きな目標となっていました。

そんな島野修さんは2010年に大きな病気で・・・、
病名は脳出血だったそうです。

島野修さんがいなくなってから、オリックスはマスコットを変更。
異例の対応に、多くのメディアが驚きました。

こうやって、さりげなくい方を大切にできるのが、
日本プロ野球の良さでもありますね。


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